ワイン造りまでのストーリー

01 ⼈の記憶、⼟地の記憶

人の記憶、土地の記憶

千葉県北部に位置する八街市は、日本一の落花生生産地として知られ、野菜の栽培をはじめ畜産も盛んな街です。  
ここは江戸時代まで幕府直轄の馬牧地でした。明治時代となってこの地一帯の開墾、入植を奨励されるようになり、 8番目の開墾地だったことから「八街(やちまた)」と名付けられました。総武鉄道が全線開通した明治 30年頃になると、さらなる開墾農民やさまざまな職種の人が集まり、 八街は交通と物流の中心地として発展を遂げていきます。

 

「光明会」の創業者である小澤定明の祖父、小澤三蔵が開墾者の一人として 甲州(現在の山梨県)から単身移住してきたのはその頃です。

三蔵が汗水垂らして開拓した地名は「元光明坊」。

馬牧地となる前の中世期、この場所には寺の僧たちの住まいがあり、  朝日を拝して毎日お経を唱えていたと言われています。

 

一方、三蔵の妻、せつの父、土屋幾之助は唐津藩を脱藩してきた元藩士でした。いったんは脱藩の罪を咎められたものの、

お経をよめたために命を助けられ、後年、小学校の教師となりました。

 

開拓者と教育者。小澤家にはこの二人の心を併せ持つルーツがあり、

「光明会」が設立された地、「元光明坊」は、“ 祈り” が込められた場所でもあるのです。

02 誰も⾒捨てない世界を創りたい

1990年頃のこと。小澤定明が民生委員として地域を回っている時、座敷牢に閉じ込められていた体に障害のある女の子を見つけました。 ところが、何とかしなくてはと役所などを回っていた間に、近隣に女の子の存在を知られるのを恐れたためか、その家はもぬけのからとなってしまいます。

誰にも頼れず、相談できなくて隠れるように生きている人がいたことを初めて知り、定明は衝撃を受けます。 
こんな世界があっていいのか、見えていなかっただけで、自分もまた彼らを見捨てていたのではないのか……。

 

「これからは誰も見捨てない。お天道様の下で誰もが堂々と暮らせる世の中にしたい!誰もしないなら、俺がやる!」
この定明の強い想いが社会福祉法人「光明会」の始まりであり、原点です。

 

「障害がある人もその家族も、等しく太陽の光のもとで堂々と暮らせる世の中にしたい」。

その志を胸に、定明は19 9 9 年に知的障害者授産施設「明朗塾」を三蔵が開拓した「元光明坊」に開設。 土地に込められた「祈り」とともに、

すべての人を等しく照らす光明のような存在でありたいという想いを込めて、社会福祉法人「光明会」と名付けました。

03 「何があっても⾒捨てない」を原点に

小澤定明理事長が立ち上げた「光明会」は、25年の歳月をかけて、理事長と、内藤晃専務理事( 現・社会福祉法人「開拓」理事長)との二人三脚で運営されました。この25年間は、お客様が人のために一生懸命に働く姿を通じて、

社会に勤労観( 勤労を尊ぶ)と職業観(あらゆる職業を敬う)を伝道するという、法人の思想的基盤を形成した時期でもあります。

 

福祉についての理解が浸透していない黎明期には、
地域の住民から「障害のある人たちが外に出ていかないように塀を作ってほしい」という要望が出たこともあります。

それに対し理事長は「塀なんか 作らない。この子たちが悪いことをしたら俺が腹を切って詫びる」と答えました。
地域の人たちの理解を得るためにはそれなりに苦労 がありましたが、
理事長は、どんなことが起きても「絶対に見捨てない」という矜持と覚悟を持って対峙してきました。
そして、その福祉の担い手である職員に対しては、「光明会」の “財産”と呼び、大事にしてきました。

 

「光明会」では入所している人たちを「お客様」と呼んでいます。実は「明朗塾」が開設された当初、お客様は “ 塾生”と呼ばれていました。
ところが ISO9001の登録審査の際、審査員から「彼らがいることで、あなたたちの暮らしは成り立っている」と指摘され、

自分たちが彼らの面倒をみているのではない、我々が給料をもらって仕事できるのは、

自分たちの面倒を彼らがみてくれているからだと気づきます。それ以来、「光明会」では “ 塾生” を“お客様”と呼ぶようになりました。

 

社会の中で光明会や明朗塾が必要とされる存在となるべく第一歩として目指したのは、
お客様が地域の人々から「明朗塾さん」「光明会さん」と「さん」づけで呼ばれることです。

その一歩を実現すべく、8月の創立記念日に行われる「めいろう夏まつり」や、桜の季節に行われる「花桜菜(はなはな)まつり」など、
さまざまなイベントを毎年開催。地域の人々と交流をはかることによって、地元の理解も次第に得られるようになりました。

今ではこうしたお祭りは、地域に根づいた、地域を代表するイベントになっています。

04 すべての⼈がこの世に生まれてきた役割を果たし、幸せを実感する福祉社会の実現

理事長と専務理事がつくり上げた理念を縦軸に、事業の多角化によって理念の横軸を築こうとしているのが、経営を受け継いだ小澤啓洋(よしひろ)副理事長です。お客様への心地良い環境もさることながら、職員それぞれの人間性と専門性により、お客様の力を引き出し、その能力を最大限に活かせるための支援を、理事長時代に引き続いて大切にしています。

 

次のステップとして副理事長が理念として掲げたのが「誰もがこの世に生まれてきた役割に基づき社会への貢献を求めて利他的行動に尽くすことのできる福祉社会の実現」です。

「光明会」の役割は、お客様が主体的に「ありたい人生」を描き、その人生を生ききるための支援を追求すること。

そのためには、単に職員が「協力」するのではなく、俺も頑張るからあなたも頑張ろうという「協働の支援」が不可欠で、お客様と共に目標に向かって進んでいく姿勢が何より大事になります。

 

お客様自身の役割を果たすため、職員が同じ方向を向いて協働で支援し、お客様の「ありたい人生」を共に実現していく。そのためには媒介となる「人」「場所」「ツール」が必要で、場所の選択肢を増やすためにも事業の多角化は欠かせません。

 

まずは、お客様が 一生懸命働く姿を通じて、理解が理屈ではなく体感として伝わる施策の一 つとして、「ウエルネス倶楽部・明朗カレッジ」を運営することで、日常の中にお客様がいる場所を実現しました。 倶楽部の中に「駄菓子屋あみゅーず」を開設し、駄菓子や野菜、お菓子を販売することによって、地域の人たちや隣接する保育園の子どもたちとの交流もはかっています。

お客様も「光明会さん」と一括りにされるのではなく、一人一人が個人の名前で呼ばれるようになるのも目標の一つです。

 

お客様にとっての “働く幸せ” をさらに広げていくため、次に副理事長が立ち上げたのがワイナリープロジェクトです。

05 時代を超えて受け継がれていく「光明会」のDNA

「光明会」のワイナリー計画のきっかけとなったのは、お客様と共に仕事したいという職員の発案と熱意でした。
新しく生まれた発想や意見を否定せず、「チャレンジしてみれば」と背中を押すのは、

時代を超えて「光明会」に受け継がれているDNAです。

 

甲州から八街に単身、開拓者として移り住んできた小澤三蔵。

「誰も見捨てることがない社会を創りたい」と「光明会」を立ち上げた小澤定明理事長。

その「想い」をさらに発展させて、新たな事業を立ち上げようとしている小澤啓洋副理事長。
こうして受け継がれてきたDNAが、祈りを込められた大地にしっかりと根付き、

さらに深く、広く根を張っていこうとしているのが「光明会」です。

 

一方、ワイン用のブドウの栽培は、約8000年前から始まったと言われています。

中東からヨーロッパ全土、宗教とも結びついてワイン文化は全世界に 広がっていきました。 
新しい地を開拓する困難を、人々は培ってきた技 術と叡智で乗り越え、

その場所に合った品種を育て、新たな産地を形成してきました。

 

長い歴史を通じて、その国の伝統や風土を反映しながらワインにDNAが受け継がれてきたのと同様、

「光明会」には、先祖から受け継いだ開拓者や教育者のDNAがしっかりと次世代に根付いており、

 ワイナリー事業を遂行するに相応しい組織風土を備えています。

06 ワイナリーによって⽣まれた「協働」の場と、卓越した専⾨性を持つ「誇り」

多角化する「協働」事業の一環として、2021年に明朗塾の畑にぶどうの苗木が植えられ、

2022年、「光明会」のワイナリー 事業プロジェクトチームが発足しました。その中心にいるのがお客様です。

 

ワイン造りには、葡萄苗木の植栽、栽培管理、醸造、瓶詰め、貯蔵、包装、出荷など、各工程において高度で繊細な技術と専門的な知識が求められます。さらにその先には、カフェ・レストランや売店、観光農園など、多面的な事業の展開も望めます。お客様にとっては自分に合った仕事を見つける選択肢が広がり、協働によって技術を磨き、専門性の高いレベルに達することも可能になります。そうやって出来上がった高品質なワインが対外的に評価されれば、自身のアイデンティティがより明確になり、大きな「誇り」を持つことができます。

 

懸命に働くお客様の卓越した専門性は、地域の大人や子どもを魅了し、自然に「さん」付けで彼らの名を呼ぶようになって、

地域をも巻き込んだ「協働」へと発展するポテンシャルも生まれてきます。

 

お客様たち一人一人が活躍でき、卓越した専門家として「誇り」を持てるワイナリー。きちんと利益を生み出し、地域を活性化させ、食文化を深化させていく、他の福祉法人のモデルとなるような持続可能な「格好いい」ワイナリー。全国にある社会福祉法人の先鞭となって、未来を明るく照らし出す、まさに「光明」のような存在のワイナリーが、八街の大地に誕生します。